書いて、息して、

書きたいことがある限り書く。

一生忘れない

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はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

一生忘れない

それはまさに昨日の朝から今日にかけて起きた一連の出来事について、だ。

生きてきて、こんなに屈辱的な思いをしたことはない。
自分に向けられた口汚い言葉の数々に、最後は相槌すら打つのが虚しく、黙って聞いていたら一方的に話を切られた。

自分より二回りも歳の離れた大人が、これ程まで怒りに我を忘れ、烈火のごとく怒鳴りつけるなんて明らかに常軌を逸していると思う。
ただ、本人はあくまで己の主張の正当性を説きたいがために、人目も憚らず怒号を上げているわけで、こちらの言い分など聞く耳もなし。
聞いている最中、様々な感情が頭をよぎった。
驚き、疑問、理不尽、恐怖。そして、とてつもなく激しい怒り。
ところが一日経った今では、敵に憐れみに似た感情すら覚える。
職場というオフィシャルな場で、大の大人が剝き出しの負の感情を他者にぶつける。
見っともない。

感情の起伏が激しい人だから、で他人を傷つけて良い理由にはならない。
後になって、そんなつもりはなかった、言い過ぎた等と反省の色を示したところで、私が傷を受けたという事実に変わりはない。

何が原因か

聞けばこれが通常運転だと言い、周囲の人間は皆沈黙を貫き、被害を受けた者は泣き寝入りするのが常となっている。
他にも聞こえてくる話を総合し分析してみると、単に性格の問題で片付けられる話ではないことが分かった。
彼がなぜ怒号を上げ醜態を晒し続けるのか。
それは、言葉を選ばずに言ってしまえば病気だからである。

昔、ある人に尋ねたことがある。
どこまで行ったら“病気”なのかと。
かつて心療内科へ通院していた経験があるというその人に対し、今にして思えば失礼極まりない質問だが率直な疑問をぶつけたところ、返ってきた答えは至極シンプルなものだった。
答えは「日常生活が破綻したら」だ。

今回のケースはそのレベルに匹敵するだろう。
周囲の人間に過剰なまでに己の感情をぶつけ、その後、時間にして幾ばくも経たぬ内に本人はけろりとしている。
行くところ行くところでトラブルを起こすも、たまたま理解ある人、環境に恵まれたお陰で、ギリギリのところで生活が破綻せずに済んでいる。
私が観察した限りにおいてはそのように思える。
おそらく本人は絶対に認めたくないのであろう。
病に苦しむ人の気持ちは本人にしか分からない。
認めたらどうなるのか。
返って認めた方が苦しまなくて済むのでは?と外から観察していて思うのだが、自分と向き合い自分を変えていくこともまた、苦しみなのかもしれない。

事態を収拾するために

昨日は話を聞きつけた同じチームの人が間に入ってフォローしてくれるつもりだったらしいが、それでは対立構造になり収拾がつかなくなることを懸念し、打ち合わせの冒頭で私は謝罪文の読み上げを行い、自ら頭を下げることにした。
自分に非のない出来事について、大勢の前で謝罪発表をするなんて、私にしてみれば一世一代の茶番である。
それを聞いた当の本人は満足したようで、自分が教え諭してやったとしたり顔であった。
何も知らない人達はわけがわからず、皆ぽかんとした顔をしていた。
そりゃそうだ。私も何故謝罪しているか分からないのだから。
念のため断っておくが、「申し訳ございません」を連呼しながら1ミリも申し訳なく思ってなどいなかった。

過剰な反応に対し、それを上回る大げさな反応で応戦することで今回の問題は収束したが、ただの事務職でこんな経験そうそうできないと思うし、この経験を他に活かせる機会も今後ないと思う。いや、ないことを願う。

鬼怒られ、鬼土下座(茶番)

それにしても、エグい。
一日で一体どれだけの体力と気力を消耗したことか。
しかし、これ程のエネルギーを掛けたこのやり取りに一銭の価値もないことを考えると、思わず笑いがこみ上げる。

昨夜は吐き気が酷く、食事も喉を通らなかった。
身体全体が現実を受け入れることを拒否している、そんな感覚。
今日になってすべてが馬鹿馬鹿しく思えてきて、今は食事が美味しい。

世間一般の会社員はこういう場合、どう対処するのだろう。
上司から言われもなき罪を被せられ、屈辱を感じるまで罵られたら?
堂々と交戦するのか?あるいは沈黙?泣き寝入りか?
私のように腹切って詫びて派手に散るか…?

この一連の出来事と自分の心情の変化を私は一生忘れないと思う。
相手の悪質な態度はこれっきりにしてほしいが、それ以上に自分自身のある種の豪胆さと言うのか、いざとなった時の捨て身の対応には我ながらびっくりしている。
私は一体いつどこでこんなやり方覚えたんだろう。
ほんの数年前まではとっさにこんな対応できるほど、精神的に強いタイプではなかったはずなのだが。
けじめ着けるだの腹切るだの、Vシネか時代劇の見過ぎなのかもしれない。
いささか肝が据わり過ぎではないか?
精神的に一歩高みへと近付いた感がある。
それを自覚できたことが最大の収穫か。

結びに

画像はいつぞや飲んだゴールデンショコリキサー。
贅沢に金箔が載っているだけで、味はただのショコリキサー。
金箔がうまく吸い込めなくて苦労した。
GODIVAは甘いが、社会人はそう甘くない。

現場からは以上です。